大阪に住んでいる、あるオジサン(若く見えるけれど70歳手前だから実際にはオジイサン)と話していて「山陰、日本海にサーフィンに行きます」と言うと「高速で行くん?どの道通っていくん?」といった会話が始まりました。ちなみにオジサンの地元は広島。僕が**まで高速、その後は下道で**峠を越えて、県道**号線を通って行きますと答えると、
「ああ、あの道か、昔営業でよく通ったわぁ。懐かしい・・・もう20年くらい前かなぁ・・・」と。
「あの峠越えたところに道の駅みたいなのがあるじゃろ?看板に大きく『54』って書かれた赤い屋根の、山陰行く時は、よくあそこでメシ食うたなぁ」・・・言われてすぐにその「道の駅みたいなの」が思い浮かびました。確かにあります。峠を越えたところに。「ああ、ありますね」と僕。
「ああ、やっぱりまだあるんか。昔も流行ってたからなぁあそこは。いつも混んどったわ。今は近くを高速が通っとるじゃろ。前は山陰へ行くにはあの道しか無かったんじゃ」
遠くを見るように話すオジサン。そうか、そんなに流行っていたのか、あの「道の駅みたいなの」は。
なんて会話を思い出しました。いつ見ても閉まっている、その「道の駅みたいなの」の真横で・・・。
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広島から県境を越えて島根に入った直後の県道沿いにあるその、ドライブインっていうんでしょうか。もうただの廃墟なのであります。これが以前は流行っていたのか・・・。僕はこの道を通るようになって4~5年ほどで、通るたびに「どうしてこんなところにこんなもん作ったんだ?」と思っていましたが、そんな盛衰のストーリーがあったのですね。っと、ちょっと車を停めて、建物の近くまで行ってみよう。例のオジサンには頻繁に会うので、今度写真を見せようとカメラを片手にてくてくと・・・。
「ドライブイン赤名54」
なんだか秋元康さんが一枚噛んでそうな名前ですやん・・・いつまで営業していたいたんだろうとスマホで調べると、2011年ということで、そんなに昔ではないんですが、ネットを見ているとオジサンが言う通り、多くの人達に40年に渡って愛され続けた峠の休憩所だったようです。「ドライブイン赤名54」で検索すると沢山の記事が出てきました。まだ携帯電話が普及していない頃、車で移動する営業マンが会社に電話するために立ち寄ったり、トラック運転手の方々が休憩に立ち寄ったりと、多くの人で賑わう幹線道路の主要ドライブインだったわけですね。1階は食堂や土産物屋で、2階の赤い三角屋根の部分は長距離ドライバーさんの簡易宿泊所だったようです。へぇ・・・。
と近寄ると、中が見えた。
入口の前までやってきて、ドアを少し押してみると・・・
開いた。
おっ・・・。
鍵がかかっていない・・・。というわけで、インしてみた。別に立ち入り禁止とか書いてないし・・・。
窓が開いたままになっていたり、商品の棚がフロアに残っていたりして、片付けも中途半端にもう何年も放置された廃墟。中にはもちろん僕一人、そこは無音で、窓が開いているにも関わらず、冷たくて黴臭い空気が充満していました。朝8時半くらいで外は明るいのですが、奥の方は光届かず薄暗く、独特の不気味さに包まれていました。そして1枚撮るたびに空間に鳴り響くシャッター音がその不気味さを際立たせるのであります。「今ここに僕以外に誰かいて、『ワッ!!』とか言ったらもう飛びあがるなぁ・・・」という肝試し感覚で奥へと。
いや、なんもない。なんもなくて、ガラクタだけが、そこにある。
あと、らっきょうも、あった。
(※閲覧注意)
・・・いや、これは閉店するときに片付けろよな。不気味だけど撮った。一応らっきょう漬けが何年持つか調べてもうたやん。冷蔵保存で7年モノを食べていらっしゃる方がいることがわかりました。ただこれはダメね。漬け酢が透明じゃないから。もう絶対にアウト。この瓶を見ているとなんだか気持ち悪くなって外へ出たのでした。
最初にスマホで調べておいてよかった。昔は賑わっていた、誰もが立ち寄るドライブインの変わり果てた姿・・・何もないんだけれどそれなりに感じるものがある。盛者必衰の理を犇々と感じながらシャッターを押し続けたのでした。
オジサンにはこの記事のリンクをメールしようと思います。なかなかメールを見ない人なので、目を引く件名「らっきょう54」にしておこうか。
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