「めいだれえ!」
純は足元の石を拾い上げると、思い切り校舎の窓に向かって放り投げた。「めいだれえ」とは「壊してしまえ」という意味である。一緒にいたオカモトが投げた石は庇に当たって落ちたが、純の一投は校舎二階の窓ガラスを貫通した。がしゃっ、と、大きな音が鳴った。ガラスは割れ落ちて、窓枠だけが残った。
「おい、逃げるど」
「ええい、くそ」
二人は駆け出した。しばらくして、遠くの方で誰かが叫んでいるのが聞こえた。純は後ろを振り返ることなく、校門から伸びる一本道をひたすら走った。背後からオカモトがしきりに話しかけてくる。
「わしゃ市工なんか入れるとは思うとらんかったわい」
「わしもじゃ」
「松商行くしかないわい」
「わしら市工やら一中やら行けるようなアタマじゃあないで」
「しょうがないわい、おい、早う走れ」
市工というのは、広島の東雲にある、市立工業学校のことである。ろくに読み書きもできない純は、はなから合格するとは思っていなかったが、面談の途中で不合格を言い渡してきた軍服姿の担当官の態度が癪に触り、腹の虫が収まらなかった。担任の大下が、報告書にひどいことを書いていたことも面談の途中で分かった。「片山君、君はこの夏、ほとんど学校に行かずに遊びよったそうじゃのう」と、担当官は問うてきたのであった。
純は白島の国民学校に通っていたが、十二歳の年、春先から夏にかけては、川遊びに夢中になってしまい、週の半分ほどしか学校に行かなかった。
純の家を出て百メートルほど歩くと、道が二手に分かれ、右に行けば学校、左に行けば常盤橋に辿り着く。広島市内を流れる京橋川にかかる橋である。純はいつも分岐を左に曲がり、常盤橋の麓に布袋を置いて、雁木の淵で手長エビを獲って遊んでいた。昨年までは上級生が雁木を縄張りにしており、純たちが立ち入る隙はどこにもなかったのだが、どこへ行ってしまったのか、今年になって誰も見なくなった。近所に住む同級生のオカモトと二人で、多くの時間を常盤橋の麓で過ごした。干潮時には雁木の淵まで降りていけるので、手作りの小網を使えば面白いように手長エビが獲れた。潮が満ちている時は雁木の上の方まで水位が上がるのでエビは獲れない。純とオカモトは仕方なく学校へ行った。学校へ行っても授業という授業は無い。運動場を耕して芋や南瓜を植えたり、裏山で松の木に滲んだ松脂を採ったりという作業が主であった。松脂は飛行機の燃料にするという。「こんなもんで飛行機が飛ぶかいや」と文句をつける純を尻目に、同級生は皆、教官の言うことを聞いて真面目に作業していた。あほらしい。純はたびたびオカモトを誘い出し、京橋川でエビを獲ったり隣町まで遊びに行ったりしていた。
ある日学校へ行くと、担任の大下から「片山、岡本、立て」と呼ばれた。「お前ら、最近常盤橋の方でずっと遊びよるらしいのう。なんで学校へ来んのなら。字もよう書かんくせに何をしよんなら。こっちへ来い」
純とオカモトは大下の後ろに付いて階段を降りた。誰かが言いつけたのだろうが、見当はつかない。純は職員室へ連れて行かれると思っていたが、一階に降りたところで大下は立ち止まった。階段下の倉庫に据え付けられた南京錠を外して「入れ」と言った。「ここへ入っとれ」
純とオカモトがそこを出たのはその日の夕方である。見回りの用務員が気づいて鍵を開けてくれたが、もう大下は帰宅していた。
純やオカモトのことを、大下が良く思うはずがない。はなから市工など入れるはずがなかったのである。わかってはいたものの、面接官の、大下が乗り移ったような偉そうな態度は気に入らなかった。何かしてやらないと気が済まなくなって、帰りに石を投げつけてやったというわけである。ガラスが割れる音と、背に浴びた誰かの怒声が、純には心地よかった。
-- 続く --