唐木俊介のブログ

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ろくなもん【2】

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春になり、松商(松本商業学校)に入学してからも、純の生活は国民学校の頃と大して変わる気配がなかった。商業学校といっても、授業という授業は無いに等しい。点呼の後は皆、常駐している兵隊の指揮に従って班ごとに畑を耕したり、松の根を掘ったりするのである。

 

「あほらしゅうてやっとれんわい」

純はたびたび兵隊の目を盗んでは作業を抜けて、校舎裏の広場へ行った。純の逃行を言いつける者は誰もいない。どこでどう噂が広まるのか「白島の片山とは付き合うな」と、親から釘を刺されている者もいたほどに純の悪童ぶりは知られていた。純が何をしようと、皆見て見ぬふりをするばかりであった。

 

広場には、解体した建物に使われていた建材や、鉄屑などが積み上げられていた。この鉄屑は、近隣住民や生徒が集めたものである。真面目な連中は皆、学校への行き帰りで紐の先に磁石を結びつけ、地面を引きずって歩いた。道に落ちている鉄屑を集めては、学校でそれを提出するのである。集まった建材や金物、鉄屑は軍部のトラックが定期的に回収していく。物陰が多く、隠れるにはうってつけのごみの山の中で、純は細長い形状の金物を探しては、上着に忍ばせて持ち帰った。

 

某日夕刻。

「おいちゃん、おいちゃん」

裏口から呼ぶと「うい」と、か細い声がした。「純ちゃんか」

「うん」

「ちいと待っとれ」

やがてガラリと戸が開いた。「よう来たのう」おいちゃんが中へ入るよう促した。職人が履く、大きくだぶついたズボンに、上半身は裸。ほのかに酒のにおいがする。振り返ったおいちゃんの背中から、ハンニャがこちらを睨んでいる。おいちゃんの体には、背中から肩にかけて隙間なく刺青が入っていた。初めて見た時、背中の真ん中に掘られた鬼のような面が「ハンニャ」で、右肩に踊っているのは「カラシシ」だと習った。何度も見ているのに、見慣れない。

「ええんがあったか」

「うん、これ」

純は昼間に校舎裏の広場からくすねてきた、長さ三十センチほどの細長い鉄の棒を差し出した。

「どれどれ」

純が初めて頼まれた時、おいちゃんは「細長い金物がありゃあ持ってこい。鉄がええ」と繰り返した。両手で細長い棒のようなものを表す仕草をしながら「こうよな鉄の棒みたいなんがええ。ようけ持ってくりゃあ、ようけ菓子やるけえ」と言っていた。先ほど純が手渡した鉄の棒を見て、満足げである。

「おお、ええじゃないか。よし、こりゃあ井戸へ投げとけ」

「うん。ほいじゃあ菓子をちょうだいや」

「ちいと待てえ」

おいちゃんは食器棚から青い缶を取り出し、純の目の前で開けた。

「ほら、どれでも好きなんをひとつ取れ」

 

缶の中身はこの前来た時と変わっていて、キャラメルとビスケットの箱が入っていた。「これがええ」純はビスケットの箱を取り出し、中から一枚引き出して丸ごと口に入れた。濃厚な砂糖の味が口の中に広がって、喉が少し熱くなった。いつの間にか日常から消えていったキャラメルやビスケットが、どうしてこの家にはあるのか。おいちゃんはいったい何者なのか。純には見当もつかない。

 

「よし、食うたら帰れ。ちいと待てえの、わしが見ちゃるけえ」

 

おいちゃんは裏口の戸を小さく開け、辺りを確認してから純の背を叩いた。「よし、ええど」

純は鉄の棒を持って駆け出した。向かった先は、最勝寺の裏山である。

 

 

純が「おいちゃん」と呼ぶこの男、名を得能という。白島、最勝寺の三軒隣、純の家の斜向かいに住んでいた。近隣の住民から忌み嫌われており、純も両親から「得能の家には近づいちゃあいけん」と言われていた。「ありゃあまともじゃあないけえ。家へ行ったら焼いて食われるど」と父親に言われたこともあった。ところが純にとって、知っている中でいちばん優しい大人がこの得能であった。得能は、純が小さな頃から「純ちゃん純ちゃん」と声をかけ、可愛がってくれた。今でこそ金物と交換してもらっているが、少し前までは、会うたびにキャラメルを一粒くれた。ことあるごとに自分のことを「いらん子」と言って怒鳴りつける実の父親よりも、会うたびに菓子をくれる得能の方が、純はよっぽど好きだった。純は周りに知られないように細心の注意を払いながら得能の家に出入りしていた。仲のいいオカモトにさえも、このことは内緒にしていた。

 

さて、最勝寺の裏山に小さな墓地がある。その隅に、口から一メートルほどの深さまで土で埋められた古井戸があった。おいちゃんに見せた金物は、この井戸に投げ入れる約束になっている。朽ちかけた板蓋をずらして中に鉄の棒を投げ入れると、純はすぐに蓋を閉めて駆け出した。

誰が取りに来るのか、純が投げ入れた金物は、いつも翌朝には無くなっていた。

 

 

同級生は皆、兵隊たちに言われるがままに働いているが、鉄屑を集めて学校に持っていったところで誰も褒めてはくれない。ある兵隊は、集めた金物を溶かして飛行機を作ると言った。純はどうにも大人たちが言うことを信じられなかった。ましてや、飛行機の燃料が学校の裏山で掘った松の脂だと思えば尚更であった。兵隊の言うことを聞いて皆と同じように働くのはあほらしい。自分のことを可愛がってくれる得能のおいちゃんの言うことを聞いて、褒美に菓子をもらう方が、純の性に合っている。

 

ふと、先ほど口にしたビスケットの濃厚な甘みを思い出した。純は思わず右手の指を舐ったが、乾いた砂のような味がしただけであった。

 

 

-- 続く --

 

 

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