なんかいいたい 管理人:唐木俊介

none

ろくなもん【11】

投稿日:

 

河内村の、祥雄の弟夫婦とその娘二人が暮らす家に、純の家族五人が居候することとなった。避難してきたのは四人だったが、ほどなくして、純の母シズが赤ん坊を産んだ。赤ん坊は夏恵と名付けられた。赤ん坊の鳴き声や、皆が「なっちゃん」と呼んで可愛がっているのが聞こえたが、同じ部屋にいながらして、純は生まれたばかりの妹の様子を見ることができなかった。顔が腫れ、焼け爛れた皮膚が癒着してしまい、純の目はほとんど開かなくなっていた。

姉の恵美子や親戚のフジは純の世話に付きっきりになった。顔に湧いた蛆虫をピンセットで取り除き、食事は重湯や野菜の汁を匙で掬って口から流し込んだ。便所に行く時は純の身体を支え、予め破っておいた新聞紙を手渡した。

二週に一度、役場に医師の巡回があった。医師は毎回、純の顔全体にまんべんなく薬を塗った。それは沁みるといった生易しいものではなく、爛れた皮膚を火で炙るような痛みであった。顔をしかめて耐える純を、医師はしきりに励ました。

「こんなあ、鶴見橋で正面からピカくろうたいうて、全然ただれとらんど。みな剥がれとるが、他のもんに比べりゃあ割にきれいなもんじゃ。兵隊さんに油を塗ってもろうた言いよったろう。それがえかったんよ。こりゃあ元へ戻るかもしれんど」

「目は見えんままですか」

「腫れが引きゃあ見えるわい。まあ今は無理に目を開かんことよ。他はええけえのう、顔さえ治りゃあ元通りになるど」

薬を塗られた日は顔中が痛く、熱を発して眠れなかった。こんなに辛いなら、いっそのことあの日死んでしまえばよかったと思ったのも一度や二度ではない。悶え疲れてようやく眠れたとしても、そのまま悪い夢にうなされるだけであった。あの日以来、純は比治山のふもとで、肥引きの牛が糞尿を撒き散らしながら駆け抜ける夢を何度も繰り返し見ている。いつも、漂う悪臭に顔をしかめたところで目が覚めるが、その度に、悪臭を発しているのが化膿した自分の顔だと気づくのであった。頬のあたりを蛆虫が這っているのがわかる。その数、一匹や二匹ではない。痒くてたまらないが、むやみに触るわけにはいかない。見えないまま触って少しでも肌を擦れば、せっかく固まりかけた皮膚が破れ、数時間に渡って激痛が走り続ける。家族も親戚も、皆眠っている。純はただ歯を食いしばるしかなかった。朝になれば、皆おはようと声をかけてくる。恵美子は蛆を取り除き、フジは野菜の煮汁を口に流し込む。祥雄は明日、純に蝿が集らないように蚊帳を拵えると言っていた。身内からずっと「いらん子」と言われてきた純に、なぜだかわからないが、皆、そのようにする。人間は放っておくと、生きようとし、生かそうとする。若干十三歳の少年は、耐え難い痛みにうなされながら、そのようなことをぼんやりと思うのであった。

 

ケン兄が死んだと聞いたのは、河内村に来て二週間ほど経った頃であった。

「ケン坊が死んだそうなで」

隣の部屋で祥雄がシズに話しているのが聞こえた。

「はあ、ほうね。かわいそうにねえ、どこへおったんね」

「それが鶴見橋じゃそうな。東洋工業の若いもんがようけ行っとったらしい」

「鶴見橋いうたら純と」

「ケン兄が死んだんな」純は横になったまま話に割り込んだ。

「なんなら、起きとったんか」

「うん、ケン兄はあの朝会うたんよ、鶴見橋の付け根の広場で」

「おう、そう言いよったのう」

「ほうか、ケン兄、死んだんな」

「死んだいうて、帰ってこんのんじゃて。藤田さんもずっと探し回りよるが、どこもわやくそで分かりゃあせんのよ。練兵場やら、どこも死体の山なんじゃ。焼くんが追いつかんのんじゃて。今日は縮景園の竹藪の脇を通ったんじゃが、なんやらずっと燃やしよったで。ありゃあ死んだもんを燃やしよるんじゃろう」

ケン兄もあの時、B29を見上げていたのだろうか。東洋工業の義勇隊も、あの爆発の直後、多くが命を落としたのであろう。鶴見橋周辺に転がっていた無数の死体の中に、ケン兄もいたのかもしれない。純が爆風に吹き飛ばされて、意識を取り戻した時、松商の生徒もそのほとんどが息絶えていた。点呼の際、担当教員の西野が背の高い者から順番に整列させたからこそ純は助かったと言っていい。あの時、誰もが空に光る銀色のB29を見上げていた。凄まじい閃光の、その根源を見つめていたのである。正面から光を浴びた者は一瞬にして熱線に焼かれた。目の前に立っていたクボタや他の背の高い生徒が、純の盾になったのである。純は焼けた人肉から立ち上る煙のにおいを思い出した。

「何万人も死んだそうなで」

祥雄は続けた。

「中国新聞のもんかのう。広島城の下の広場でのう、メガホン持ったもんが大声で言いよったわ。広島と同じ新型爆弾が長崎にも落ちたんじゃいうて。ありゃあ新型の爆弾で、広島は一日で何万人も死んだんじゃと。焼けとらんのは宇品の方だけじゃいうて」

広島を焼き尽くしたのは、世界で初めて開発された新型の爆弾だと祥雄は言った。そしてあの爆弾と同じものが、長崎にも落とされたという。

 

純は、自分も死んだ何万人と同じだと思っている。生きているのは、死ぬよりつらい。なぜこんな目に遭わなければならないのか、どれだけ考えても、やっぱりわからない。

「わしが何したんなら」

純は誰に言うでもなく呟いた。

 

 

—続く—

 

 

 

 

-none

Copyright© なんかいいたい , 2025 AllRights Reserved.