なんかいいたい 管理人:唐木俊介

none

ろくなもん【14】

投稿日:

 

純が学校へ行ったのは、四月の中頃であった。

福田と名乗る教師は、机の脇に置かれた箱から黄ばんだ冊子を取り出して、純に渡した。

「二年生は工作室じゃけえの。隣の建物の一階じゃあ。この修身と地図のガリ版を持っていけえ。残っとらんのじゃ。修身は教えちゃあいけんのじゃが、他に教科書がないけえ、それを読みよれ」

「はあ」純はぼろぼろの冊子を受け取り、事務室を出た。

後ろから福田が声をかけた。「勉強しとうなけりゃあ外で遊びよりゃあええけえの」

 

松商(松本商業学校)は、爆心地から北東二・八キロの位置にあった。原爆炸裂後、西南にあった東練兵場方面からの延焼によって校舎の大部分が焼けてしまった。猛火が敷地に及んだのは午後四時頃であったが、それから日が暮れるまでの二時間ほどの間に校舎の大部分が焼け崩れたという。教員も生徒もほとんどが動員作業で出払っており、消火作業にあたる者がいなかったことも災いした。なんとか焼失を免れた教室は五つで、純が案内されたのはその内の一つ、工作室であった。

教室に入ると、席についていた十人ほどの生徒が顔を上げた。知っている顔は一つもないが、無理もない。去年の春、入学してすぐに開墾作業や松根堀りに駆り出され、そのまま建物疎開に動員されたのである。しかも、誰が広めたか、純は周りから悪童と疎まれており、近づいてくる者はほとんどいなかった。

「なあ、だれか白島のオカモトいうて、知らんか」

前に立って聞いてみたが、誰も何も答えない。一番前の席に座っていた坊主頭に顔を近づけて「なあ、知らんか」と重ねて聞くと「知らん」と返ってきた。ぶっきらぼうな態度で、こちらに目を合わせようとしないのが、どうも気に入らない。純は一番後ろの空いた席に座り、先ほど手渡された修身の教科書を開いて、頁を捲った。

【社会に各種の職業あるは、恰も人の身体に耳目口鼻等の諸器官あるが如し、此等の諸器官は、生物の進化に伴ひ、数千萬代を】

一分も経たぬうちに、どうでもよくなった。はなから勉強する気などないのである。何よりもまず、ほとんど漢字を読めない。何を習っても、一晩眠れば忘れてしまうこの少年、学校がつまらないことを忘れていた。純はすぐに席を立った。周りの者が不思議そうに見ていたが、そのまま教室を出た。

 

学校から駅まで、一キロもない。原爆投下から八ヶ月が経ってもなお、駅の北側を走る大通りまでは焼け野原のままであった。家に帰っても仕事を手伝わされるのが面倒くさい。と、駅の方へ向かって歩いていると、道端のところどころに、ぺんぺん草が生えている。純は白い花をつけた茎を一本ちぎり、その先を齧った。青苦い。

 

やがて線路の南側へ出ると、徐々に人が増えた。純がヤミ市に足を踏み入れたのは、この時が初めてであった。

広島駅の南側に、人がひしめき合っている。それは、幼少の頃楽しみにしていた最勝寺の祭りとは桁違いの盛況ぶりであった。町中は一面焼け野原なのに、その一画だけ、活気に溢れていた。

「いらっしゃい、さあ、いらっしゃい」

「みかん一貫十五円」

「芋餡まんじゅう、ひとつ五十銭」

簡易的な屋台で売る者もあれば、裏返した木箱の上に着古された軍服や軍用毛布を並べる者もいた。

「これちょうだいや」と、目の前で軍用毛布が売れた。

「そりゃあ百円じゃ」売り手の男が言う。

「高いのう、ちいと安うならんのか」

「どうもならんわい。いらんのならええですよ」

「いやええわ、買うわい」男は百円札を手渡した。「百円札着て寝られりゃあせんもの」

「はいはい、ありがとさん」

少し離れたところに、人だかりができている。見ると、米軍の兵士がカメラを抱えている。その先では、男が大きな魚を竿秤にぶら下げていた。星を外した戦闘帽を被って、占領軍に笑顔を向けている。辺りには、大声で話す者、裸足で走り回る子供、あちらこちらで濛々と立ち上る湯気、何かの動物が焼かれるにおい、機械の音、ありとあらゆるものが、飛び交っている。一銭も持たぬ純は、しかしそこに立っているだけで、身体の奥の方から何かが漲ってくるのであった。原子爆弾の炸裂で、死んだ者は命を失い、生き残った者は、命以外の全てを失った。あの日、広島の全てが壊れ、崩れた。そのままの焼け野原の真ん中で、純は今たしかに、人が生きるのを見ている。その音を聞き、においを嗅いでいる。

 

「かたな。刀じゃ」純は誰に言うでもなく呟いて、歩き出した。

牛田に引っ越してすぐの頃、純は京橋川の岸で日本刀二本と短刀一本を拾った。いずれも刀身は黒い錆で覆われていたが、工場で削れば使えるかもしれないと思い、着ていたシャツを脱いで巻きつけた。持ち帰って藤田さんに見せると「こりゃあ兵隊が自殺するのに使うたんじゃろう。死体が転がっとらんかったか」と言った。終戦後、敗戦の報に気が触れた日本兵は多く、アルコール依存症に陥る者や自殺する者が後を絶たなかった。「そけえ置いとけ。磨きゃあヤミで売れるかもしれん」

あの日本刀は、たしか工場にそのまま置かれていたはずだ。ヤミ市で刀を売って、何かを買う。そういうことを、してみたい。

 

純は饒津(にぎつ)の公園を走り抜けて、常盤橋のたもとを通り過ぎた。京橋川の向こう岸に、崩れた雁木が見える。国民学校の頃、オカモトと手長エビを獲っていた雁木である。網を構えて掬ったエビを、つまんで食べていた。あの頃から、まだ二年も経っていない。川面に差し込んだ陽の光が、風を受けて小さく揺れている。あの日、焼け焦げた人間で埋め尽くされた川が、今は澄みきって、とどまることなく、ゆったりと流れている。

 

 

--了--

 

 

 

 

 

 

 

-none

Copyright© なんかいいたい , 2025 AllRights Reserved.