とあるオフィスビルのトイレ、一人用の狭い個室、スイッチはここにしかない。わかりきっていることを、なぜ教えてくれるのか。これは怪しい。押せば上からタライが落ちてくるのかもしれない。
ポチッ…と押し、電気を消して外へ出た。
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スイッチといえば、時々、急に掃除をしたくなる。パチンと、スイッチが入るのだ。先週の日曜日はいつもに増して掃除熱が高まって、水周りにとどまらず家中を掃除した。その中で自分の洋服や本などの持ち物もひと通り整理したのだった。
作業も落ち着いた夕方、自室でデスクの中身を整理していると、昔の日記帳などに紛れて、1冊の小さなメモ帳が出てきた。
これは大学を卒業する直前に行った、イタリアの旅の記録だ。
ローマ シエナ フィレンツェ ラベンナ ベネチア ミラノ トリノ ピサ ローマ というのが、その旅のルートだった。イタリアのローマ以北を1周するコース。大きなバックパックに荷物を詰め込んだ。格安航空券が手に入りそうだという情報を聞きつけてから急遽準備したので、下調べは殆どしていなかった。当時はスマホなど無い。行きのトランジットの際クアラルンプールで買った「Lonely Planet」という海外版「地球の歩き方」を頼りに、僕はイタリアへ飛んだ。
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その前の年、イタリア、フィレンツェが舞台となる辻仁成と江國香織の共作「冷静と情熱のあいだ」が映画化され、大ヒットした影響もあってか、行く先々で日本人の姿が目立った。特にフィレンツェのドゥオモのてっぺんに行った時は驚いた。そこは日本かと見紛うほどに日本人女性が沢山いた(春のイタリアはいつもこうなのか?)。さてこちらはバックパックひとつ、宿は1泊15ユーロほどのユースホステル。貧乏旅行、ヒゲ伸び放題、髪ボーボーで身なりは酷く、同じ日本人旅行者といえど、アイツらなんかちょっと違うよなぁと、腰掛けたベンチからキャッキャとはしゃぐ彼女たちを眺めていた。
・・・と、こちらを見ながらコソコソと話している日本人女性二人組。ん?何やら僕の方をチラチラ見ては話している。じっと見ていると、やがてそのうちの一人が僕の所へ来て・・・、
「ピ、ピクチャー、オーケー??」
やれやれである。アイアムジャパニーズ。
とは言わず「大丈夫ですよ。ボク、日本人ですよ」と写真を撮った。そんな、ちょっと(向こうも)ビックリするようなこともあった。
その他にも沢山、驚くことがあった。大きな声では言えないけれど、初日に電車などの交通機関でいちいち検札されないということが分かってから、キセル乗車を繰り返していたこと。そしてその数日後にフィレンツェで乗ったバスの中でキセルがバレて罰金40ユーロを支払ったこと…己のどうしようもないバカさ加減を、15年前の自分が粗雑に記録している。
旅の中では街の美しさや建築の荘厳さ、歴史・芸術・慣習など、もちろん沢山のことに驚いたのだけれど、そういう感激は、あまりメモに残っていない。言葉にできなかったんだろうな。どこに行った、何をした、という単純な記録ばかりが残っている。ただそんなメモの中にも、読むたびにその時の感情が溢れ出しそうになる、忘れられない思い出もある。
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僕はその旅で、人生初の体験をした。同世代の中では、かなり遅い方だったと思う。
人生初の、便秘である。
それまでの人生、便秘とは無縁だった。便秘薬のCMなど見ても何とも思わなかったし、その中で出演者が訴える苦しみなど全く理解できなかった。そんな僕に人生初の便秘。これはキツい。久しぶりの海外で、確かに食事は偏っていたかもしれないけれど、物理的にお腹に入りきらないくらい食べたり飲んだりしているのだから、いつものように出てもおかしくないだろうに・・・。
がしかし、出ない。メモによると、少なくともベネチアからミラノへと動いた3日もの間、出ていない。腹と尻の間あたりが重く、じれったいというかなんというか、妙な感覚だったのを今でも覚えている。今37歳の僕が、便秘に苦しんだのは後にも先にもその時だけだ。その症状が気になり出してからというもの、僕は事あるごとにビールや水を飲み、お通じが来るのを待った。ただ悲しいことに、どれだけ待ってもその想いが通じることはなかった。いろいろ通じない。
やがて僕はミラノに辿りついた。予約なしでレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を観ることができて嬉しかった、とメモしてある。上の写真の"The Last Supper" 云々というのがそれだ。現在はどうだか知らないけれど、僕が行った時「最後の晩餐」は10人くらいずつ客を区切り、専門のガイドが教会の中を案内して回る、そんなシステムだった。いくつかの団体が並ぶ中、僕は自分が一人で来ていることを主張して、10人ほどのアメリカ人の団体客の中に無理やり混ぜてもらった。「最後の晩餐」は教会の奥の部屋の壁一面に掲げられていた。僕の最初の感想は「デカい」だった。なんというアホな感想…と我ながら思った。テレビや教科書で見たことあるあの絵だ。デカっ…とそんな感じだ。ダヴィンチ独特の構図、色彩やタッチがどうのこうのなどとは1ミリも思わず、デカっ…とこれだけ。しかも、その場でも時折、便秘の嫌な感覚が下腹部を走りまわる。最後の晩餐を目の前にして、えっと、最後の便通は…などと考えているわけである。そうこうしているうちに制限時間がやってきて、僕は教会をあとにしたのだった。
人間の身体というのは不思議なもので、いくら便秘でも腹は減る。教会を出た僕はその足で近くのマクドナルドへ行った。そんな、日本で食えるもん食っても意味がないだろうと自分に言い聞かせながら旅をしていたので、ファーストフードチェーンには入らないようにしていたけれど、その時はなぜか無性にハンバーガーが食べたくなって、僕は看板のMの字を見るなり、店内に吸い込まれたのだった。ハンバーガーを注文して、それを窓際の席で食べた。バックパックを置くのにちょうどいいスペースが窓際にあったのだ。久しぶりに食べたマックのハンバーガーが美味すぎて、僕はもうひとつ買おうと席を立った。当時(今もか?)のイタリアではスリや置き引きが多く、僕は行く先々で自分のバックパックをワイヤーチェーンで固定していた。自転車を施錠し、3桁の数字で開錠する例のチェーンだ。その時もカウンターの脚部に自分のバックパックを繋ぎとめて盗られないようにしてから、カウンターへハンバーガーを買いに行った。そして数分後、席に戻ってそれを食べている時のことだ。
きた。
きた。ズンときた。急激にきた。僕は食べかけのハンバーガーを置いて、トイレに駆け込んだ。
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こうして僕はミラノのマクドナルドで、芸術的解放を記録した。
全ては、終わった。
その後のこと。
ない。
・・・なんだよ、紙がなかったのかよ。
と思われた方も多いだろう。
違う。
紙はある。
ないのは、
レバーだ。
水洗レバーが、ないのだ。
一連の儀式が終わってジーンズを履き、ベルトも締めていた僕はその場に立ち尽くした。水を流すレバーが無い。そこには完成したばかりの作品だけがあった。
・・・と、足元を見ると、何やら黒くて丸いボタンのようなものがある。床の一部に貼られている金属の板の上に、クイズ番組の早押しボタンみたいな、丸い形状の黒いものがあるのだ。
ああそうか。これを踏めば流れるのか。よし、解決。というわけで、僕はそのボタンを踏んだ。
「スン」
?
小さく 「スン」 と音がした。誰かが小さな声で「スン」と囁いた、そんな音だった。
ん?
僕はもう一度、今度は少し強めにそのボタンを踏んだ。
すると、
「スン」
と、また小さな音が聞こえた。ただそれだけだ。水は、流れない。
ふいに「コンコン」とノックの音が聞こえた。誰かが来た。コンコン、と僕も内側からノックした。そして黒いボタンを踏む。ぬっ。
「スン」
いや「スン」はないだろう。流れろや。もう一度、ぬっ。
「スン」
・・・・。
長押ししてみる。ググッ・・・。
「スン」
ノックが激しくなった。嗚呼。
内側からリノック。
今度はゆっくり踏み始めて最後にグッと踏んでみる。・・・グウッ。
「スン」
・・・。
やがてドアの外で男数人がパラパラ言い出した。イタリア語はわからない。なんかパラパラパラパラと喋っている。「どうしたんだよ」「いや中のやつが全然出てこねえんだよ」とか、そんなことを言い合っているに違いない。またノックだ。激しい。・・・ちなみにこの時、僕の鼓動も激しい。
僕は踏んだ。足元の黒いボタンを何度も踏んだ。それ自体がぐらつくほどに何度も繰り返し踏んだが、びっくりするほど何も起きない。水は1滴も流れず、時間だけが轟々と流れていく。事態は深刻を極めた。人間、極限状態に陥ると何をするかわからない。僕は手洗いの蛇口を捻った。水がチョロチョロと流れた。すぐに蛇口を閉めた。次に壁を見た。スイッチを押した。壁にあった四角いスイッチだ。パチンと押したら、室内が真っ暗になった。すぐにもう一度押した。電気が点いた。外では相変わらずパラパラ言っている。コンコン・・・嗚呼。押した。今度はその電気のスイッチプレートを固定している、ネジだ。ネジ。これは本当の話だ。僕は電気のスイッチプレートを壁に固定しているネジの頭を、親指で強く押したのだ。狂気の沙汰とはこういうことだ。ネジの頭を押して水が流れるわけがない。狂っている。その時の僕は気が狂っていて、理性も思考力も、全てを失っていた。
コンコンコンコンコン!!
・・・と、直後に聞こえた早めの連続ノックで僕は我に返った。
ボタンは、合っている。
それを踏めば、水が流れる。
しかしそれは、壊れている。
水は、流れない。
僕はトイレットペーパーで自分のナニガシを入念に覆いながら思った。なんなんだこれは。そもそも故障しているのが悪いんじゃないのか。どうして利用客の俺がこんなに困らなければならないんだ。ただ普通にウ○コしただけじゃないか。東京からミラノまでやって来て、なんでこんなことで時間を使わなければならないんだ。いやそんなことより、今だ。どうする俺。
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ドアの外には二人の男が立っていた。飛び出してきた僕を見て「遅えよこの野郎!」的なことをまたパラパラと言っていたんじゃないかと思う。知らん。僕は駆け抜けた。混んでいる店内を駆け足で移動している時、後方から「オーマイガーッ!」的なイタリア語が聞こえたような気がした。知らん。俺は行く。自分が座っていた席に戻り、バックパックを担・・・げない。それはワイヤーチェーンでカウンターと繋がっているのだ。オーマイガーッ!とは言わない。黙って カチカチカチカチ…と番号を合わせて開錠した。僕は飛び出す前に一連の身のこなし…例えばどちらの手でバッグの肩紐を持ち、どう身を翻して外へ出るかといった細かいところまで頭の中でイメージしていた。
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走った。
僕は走った。ミラノの街を、ただただ走った。
走っていると、重く巨大なバックパックがX字を描くように揺れた。そのこと以外、覚えていないし、メモにも残っていない。
メモに残っている部分は…と、さらに下を見ると、
ゴミ屑のように汚い字で、
「MILANOのマックでShit流れずそのまま出てしまった クソ罪悪感」
と書いてある。多分書いたのはその日の夜だろう。僕はちょっとウマいこと言おうとして、ミラノ郊外のユースホステルで人知れずスベっている。そしてその15年後、自分のメモからその日のことを想起して、今こうして書いている。記憶もまた、流れない。
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先日、ツイッターのトレンドワードに「#高校生の自分に教えたいこと選手権」というハッシュタグが載っていて、皆それぞれ大喜利的に面白いことを呟いていた。僕はこれしかない。大学の終わりの頃の出来事だったから、高校生の自分に伝えても忘れるかもしれないけれど。
「数年後、お前はイタリアに行くことになるが、ミラノで、とにかくマクドナルドにだけは入るな」
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