唐木俊介のブログ

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落語を聴く。

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落語を聴くようになって20年くらい経つ。オムニバスのアルバム音源をスマホに入れている。何代目の誰が演じた『〇〇』が好きといった、いわゆるマニアではないけれど、週に1度くらいのペースで何かしら聴いている。

 

僕が落語を聴くようになったきっかけは『GO』という映画だ。

GO

 

この映画は、窪塚洋介演じる在日韓国人三世の高校生が、国籍を超えた恋愛や友情に悩みながらも自我に目覚めていく姿を描いた作品だ。冒頭、主人公(窪塚)がヒロイン役の女子高生(柴咲コウ)と初めて出会うシーン。爆音鳴り響くクラブで、イヤホンをつけて手に持っていた本を読む主人公。そこで彼が聴いていたのが落語だった。薄暗い店内、流れる爆音、ドラッグと酒に酔い騒ぐ若者たちの中、ひとり落語を聴く姿がかっこよすぎた。当時大学生だった僕は、それまで落語など聴いたことがなかった。そこで流れていた噺の内容はわからなかったけれど、とにかくクラブで落語を聴く主人公、というか窪塚洋介を見て「落語=かっこいい」と思い込み、映画館からの帰り道にレンタルショップで落語のオムニバスCDを借りた。このあたりの思考回路は、自分でもよくわからない。

 

ただ、これは運が良かった。落語は、おもしろかった。時そば、酢豆腐、火焔太鼓…有名な演目が揃ったCDを聴いて、僕は大いに笑った。MDにダビングして何度も聴いた。それからというもの、つかず離れずのペースで20年くらい聴いている。これが、飽きない。内容がわかっている演目を何度聴いても、必ずおもしろいから不思議だ。

 

落語の主人公は、だいたいダメなやつである。仕事はしたくない。いつも酒を飲みたい。手にした金は端から酒に溶ける。いつも金がない。女房は怒っている。そんな情けない主人公が、しかしなんとかして毎日を楽しく生きてゆく。ただ滑稽な噺だけではない。親子、夫婦の絆を描いた人情噺には、聴いていて涙してしまうものもある。どう見てもダメそうな男が実は彫刻の名人で、最後に正体が判明。そこで皆あっと驚くというTBSモニタリングのような噺もあって、こういうのは聴いていて実にスカッとする。

 

「なんで落語を聴くの?」と聞かれたら、僕はまず、シンプルに落語家の噺がおもしろいことを伝える。本題に入るまでのトークで、必ずひと笑いある。そののち、本題に切り替わる瞬間から噺の最後まで、笑ったり泣いたりと感情を振り回される語り口には驚かされるばかりだ。それから、道徳について話す。どの噺にも、昔も今も変わらない、生きていく上で大切な教訓がふんだんに盛り込まれている。楽しく聴きつつ、背筋を伸ばすことも多い。他にも、商談で、あるエピソードを落語の噺に準えたことから先方のお偉いさんに気に入られて、ビジネスが飛躍した経験について話すこともある。

 

ただ、これだけでは説明が足りていなかった。僕は先日読んだある本の中で、今までに意識したことのない落語の効能を知った。

 

その本は、立川談笑著『令和版 現代落語論』という。この本には、落語とは何か、いかに親しみやすいものなのか、落語はなぜおもしろいのかということが、この上なくわかりやすく書かれている。また、書内のQRコードからリンク先にアクセスすれば、立川談笑師匠の落語を9演目も視聴できる。終盤には談笑師匠と女優・中江有里さんの対談も載っていて、一冊の本でこんなに楽しめていいのかという内容である。

 

令和版 現代落語論 〜私を落語に連れてって〜 (ひろのぶと株式会社)

 

この本の中に「落語はダメな私たちを肯定してくれる」という項がある。僕はこの項に落語の”飽きなさ”の秘密を見た。ただおもしろいと思って落語を聴く僕は、知らないうちに落語に救われていたのだ。

項題を繰り返す。

ー 落語はダメな私たちを肯定してくれる ー

 

『GO』を観に行った日、僕は朝一番の大事な予定を寝過ごしてしまった。「明け方まで飲んだ。うるさくて投げつけた?目覚まし時計大破!」と、当時の日記に書いている。その日記とて、ろくに学校にも行かず毎日飲んで騒いでを繰り返し、無為な日々が流れていくことに怯えて書いていたものだ。友人の多くは将来を見据えて、留学や就職活動の準備をしている。おれは会社員はイヤ。普通の人生はイヤ。でも何ができるわけでもない。ブツブツ言っているうちに時間は過ぎる。日記でも書けば、日々を充実させようと何かしら頑張るのではないかと書き始めたのである。なんのことはない。読み返せば、どのページをめくっても「今日も夕方まで寝ていた」「飲みすぎた」という記述が残っているだけである。その日の日記の続きには「青田買い行けなかった。しらん。新宿でGOを観た。クラブで落語→クボヅカ最高。帰りにメガトンで落語のCD借りた。がんこ16代目食って帰った。落語最高」と書いている。相変わらずのダメな日に、生まれて初めて落語を聴いた。けらけら笑いながら、僕は知らないうちに登場人物と自分を重ねていたのかもしれない。その後も怠惰極まりない学生生活が続いたけれど、あれから20年の間ずっと「これではダメ」と「まあいいか」を繰り返しながら過ごしている。あの日『GO』を観ていなかったら「まあいいか」の分量が減って、キツい人生になっていたような気もする。そんなことを振り返りながら「落語はダメな私たちを肯定してくれる」という項を読み返した。

 

ところで、先日調べてわかったのだけれど、『GO』の冒頭のシーンで窪塚洋介が聴いていたのは、人情噺の『紺屋高尾』だった。これは身分違いの恋に落ちた染物職人の一途な恋物語である。この映画では随所でシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』が引用されていて”これは国籍の壁が邪魔する実り難き恋を暗示しているのだな”と、当時の僕は得意げに思っていた。しかしなんと物語の冒頭に、その結末までを暗示する重要なキーがあったとは。そう思い改めて観た『GO』は、格別におもしろかった。

 

それにしても、20年前、なぜ演目を調べなかったのか。我ながら浅い。

 

 

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