1年ほど前のある日、奥さんの実家でトイレに入ると、良い匂いがした。それはとても上品な、フローラルの香りだった。巷の芳香剤のようなありふれた香りではなく、高級料理店や結婚式場のトイレに漂っているようなハイクラスな香りだ。
良い。
なんなんだこれは・・・
部屋に戻ってお義母さんに聞くと、電池式の芳香剤を設置しているとのこと。気付かなかったけれど、奥の方に置いてあったのだろう。近所の薬局で買ったそうだ。へぇ、そういうのが薬局に売ってるのか、めちゃくちゃ巷やんけ・・・とネットで検索。
おお・・・いいじゃないか、めっちゃ安いし。ウチも次からこれにしよう。
と、奥さんと話した2週間後くらいだろうか、我が家のトイレもめちゃくちゃ良い匂いになっていた。奥さんが買ってくれたのだ。
それは、トイレの奥側の床にポツンと置いてあった。
僕は驚いた。
それは、トイレに入った僕を歓迎するかのように
シュパッ!
と、香り成分を吹き出したのだ。
見ると、ボディの下の方がピコピコ光っている。
センサーが僕の動きを感知しているのだ。
しかし、その時の僕のミッションは「小」であった。僕はさっと用を足して外へ出た。
センサーが人の動きを感知すると、香り成分が詰まったカートリッジから「シュパッ」と良い匂いが吹き出す。そして一度吹き出したら、20分間はじっとしている・・・僕は商品説明を読んで感心した。ずっと匂いを発し続ける据え置きタイプとは違って、人間が用を足すタイミングに合わせてピンポイントで香り成分を発し同時に消臭、トイレという狭い空間を快適に保つとは・・・さっきは「小」だったから実感が湧かなかったけれど、気体や固体のミッションにおけるパフォーマンスはまさに期待「大」なのであった。
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さて、
時は来た。
僕はトイレへ向かった。
がしかし、ここでまさかの事態である。
強すぎるのだ。匂いが。
ドアを開けた瞬間、強烈なフローラルの香りが鼻を突いた。もう少しサラッと香ってくれないと困る・・・というほどに、それは強く香っていた。おまけにここで得意の
シュパッ!
である。
トイレに入った僕を、そりゃ感知するわな。と便座に座ったけれど、やはり匂いが強すぎる。うむ、換気しよう。
立ち上がって衣服を直し、窓を開けようとしたその時
シュパッ!
と音がした。
ん?
ん?
ちょっと待て、まださっきのシュパッから1分も経ってないぞ?一度吹き出したらその後20分はじっとしているんじゃなかったのか?
おかしいな・・・と、僕はしゃがんでそれを手に取シュパッ!
・・・!!
・・・!?
おい!!
20分おい!!
と、それをガチャガチャ弄る時間はない。僕のシュパッもすぐそこまで来ているのだ。僕は仕方なくそれを床に置き、また便座に腰掛けた。
・・・しかしなんなんだ・・・俺が持ち主だというのに、どうしてこんなに気を遣わなければならないんだ・・・僕はミッションの最中、そいつの暴発を防ぐために、妙にじっとしているのだった。微動だにせずリキみ、そっとトイレットペーパーを巻き取り、そっと水洗レバーを捻ったのだった。幸い序盤の3連発以降は何も起きなかった。
この件を奥さんに告げると「え、壊れてんのかな。それかパパのオナラに反応したとかw でも確かにちょっとキツイよね。外国のやつだからそういう感じなのかな。アタシはそんなに続けてシュパシュパなったことないけど」
・・・。
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我が家は2階建てで、1階と2階の両方にトイレがある。僕は1階に設置していたシュパッを2階に置き換えることにした。1階の方が家族全員の使用頻度が高いので、もしもその後、そいつが20分の時間を守って正常に作動したとしても、シュパッの絶対数が増えてしまい、トイレの良い匂いが強くなりすぎると思ったのだ。
しかし2階に移設してからも、トイレは強烈なフローラルの香りを維持していた。なんなんだ・・・なぜなんだ・・・あいつは誰も見ていないところで無差別なシュパッを乱発しているんじゃないのか。日常的なシュパッの他に、誰も来ないから「寂しくなってやった」とか「ムシャクシャしてやった」とか、そういう不純な動機で他人の迷惑を省みずひたすらシュパシュパやっているんじゃないのか。まったく・・・
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リビングに戻ると、今度は奥さんと謎の会話が始まるのである。
奥さん「あのさ、夕方と夜の間の、あの暗くなる直前の、電気点けなくてもギリギリ肉眼で見える時間帯あるじゃん?あの時に電気点けずにそーっと入ったら、センサー作動しないよね」
僕「マジか!」
奥さん「アタシ3回それで上手くいったことあるもん」
僕「へぇ。俺もやってみよ」
・・・いや、だからなんなんだこの会話は・・・「上手くいった」ってなんなんだ・・・
なんてブツブツ言いながら過ごすこと数日、不思議と匂いが収まった。シュパッが作動しなくなったのだ。見ると香り成分のカートリッジが無くなったようだ。は?なんじゃこれ・・・無くなるのが早すぎるだろう。もっと少しずつ計画的にシュパシュパせえよ・・・
ええい、もうええわい。
その後、放置である。奥さんが替えのカートリッジを買っていたけれど、もうシュパッはええわ。と物置にしまった。
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それから半年くらい経っただろうか。使っていた別の消臭剤が無くなったタイミングで、久々にあのシュパッを引っ張り出してみるかという話になった。カートリッジもあるわけだし。
さて、久々の設置である。満タンのカートリッジと新品の電池を得た半年ぶりのシュパッや如何に・・・とセット。
・・・。
うんともすんとも言わない。
「無」という音だけが、そこにあった。
サウンド・オブ・サイレンスである。
"Hello fragrance, my old friend" である。
"I've come to talk with you again" である。
しかし、そんな僕の思いとは裏腹に、シュパッは反応しない。目の前で手を振ってみたけれど、ぜんぜんダメだ。
「ずっと放っといたから壊れたのかな」
我々夫婦は肩を落としたのであった。
それにしても、出すぎたり出なさすぎたり、なんなんだ・・・
と、この段になってようやく僕はメーカーに連絡した。
問い合わせフォームからメールを送ると、すぐに電話がかかってきた。全盛期のシュパッを思わせる敏感な反応に驚きながら、僕は事情を説明した。その後、担当の方の丁寧かつ迅速な素晴らしい対応で、すぐに代替え品が送られてきた。放置していた間にモデルチェンジしたのか、少し違う形の新品が箱に入っていた。
設置すると、下のランプがピコピコ光った。
シュパッ!
よし!!
と、これをもって一件落着したのであった。
しかし、である。
新型一発目のシュパッの直後、その目の前で反復横跳びみたいな動きを繰り返して暴発しないか試した時。
リビングに戻ったと見せかけてまたバッ!と勢いよくドアを開け、トイレに入ってセンサーが20分以内に反応しないか試した時。
そしてそれらをこうして書いている、今この瞬間。
なんなんだこの時間は・・・マジでなんなんだ・・・
そんなやり場のない感情が、その後も幾度となく吹き出してくるのだった。シュパッと。
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