唐木俊介の雑感配信ブログ

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そこにいる。

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1999年の春。大学の入学式の日、3クラスが集まった大教室で「週8で日サロ行ってます」みたいな色黒で金髪の男が一際目立っていて、周りに数人のメンバーを引き連れていた。遠くの方でワイワイと盛り上がっている。楽しそうだな。数人で固まってるということは、附属校から上がってきたんだな。

 

父親の仕事の関係で幼少期はアメリカで過ごし、中学から日本で生活しているというタカダ君(仮名)。附属高校時代からの友人曰く「かなりヤンチャ」だったそうだ。うむ、見るからにそんな感じだな。と思っているところで皆が口を揃えて付け加えるのが「でも、めちゃくちゃ頭いいよ」だった。

 

1年の頃はあまり学校に来なかったタカダ君、テストの時期になると突然現れた。「この授業、明日テストか。やべえ、全然やってねえ、ノート貸してくれ」前日の夜中に友人のアパートにやってきて、彼がノートを渡すと、それをコンビニでコピーしてきて、帰っていったそうだ。そして当日のテストで100点を取る。クラスの平均点は60点。そんなことが何回もあった。

 

昔からヤンチャ。見た目はイカつくて、普段は遊びまくっている、そんな男が、テストだけ受けて満点を攫っていく。謎だらけのタカダ君と僕がよく話すようになったのは、大学2年の終わりくらいだった。タカダ君が学校の図書館に来るようになったのだ。この頃の、というか学生時代ずっと、僕はやることがなくて毎日のように図書館で本を読んでいた。そこで頻繁に会うようになった。

 

外で一緒にタバコを吸ったり、昼飯を食べに行ったりして、僕らはいろんなことを話した。その中で、いつも何の勉強をしているのか、と聞くと「お金の勉強」という答えが返ってきた。多くは語らない。僕も多くは聞かない。

 

タカダ君は毎日、入って左の窓際でお金の勉強をしていた。いつだったか「シュンスケは何やってんの?」と聞かれて「いや、別になんも。テキトーに本読んでる」と答えると「いいね」と返ってきた。僕はこれを当時の日記に「いいねってなんだよ。ヒマなだけや」と書いている。

 

 

飲みに行くと、タカダ君は昔の話をした。

「小学校の頃はさ、家の前をバッファローが歩いててさ」

「高校の時にさ、マグネシウムを爆発させようと思ってさ」

ちょっとした話が、いちいち面白かった。

 

ある日、友人たちとの飲みの席で就活の話になった。皆、俺はこうしたい、俺はここに行きたい、と言い合う。タカダ君はこの日「俺は金融に行く」と言った。「金融。7社受ける」誰よりもはっきりしていた。

 

その時タカダ君から聞いた面接の話をよく覚えている。

 

「オヤジは元々特殊な組織のパイロットで、面接官もやってたらしいんだけど、応募者がくるじゃん?で、開口一番『ここまで階段で上がって来ましたよね。何段ありました?』って聞くんだって。で、時々しれっと答えるやつもいたらしいわ。常にアンテナ張っとかないとダメだよね」…ゴルゴ13か。

 

 

他にも、資格の話になった時は「この前TOEIC受けたよ。リスニングは満点だと思うけど、ライティングはわかんねえや」…さらっと言うな。

 

 

それから2ヶ月くらい経って、あれ?最近タカダ君見ないな・・・と思っていたところに急に現れたので「最近どうしてたの?」と聞くと「アメリカ行ってた」と言う。「なんで?」と聞くと「資格の試験」…なんなんだこの男は。

 

 

 

就職活動が始まると、タカダ君はスーツ姿で図書館に現れるようになった。

「〇〇のインターンで頭おかしくなりかけた」

「外資の面接って、最終に近づけば近づくほど、どこ行っても大体同じメンバーが残ってるんだよ」

「〇〇の最終面接、椅子の座り心地がやばかった」

 

やりたいことを見定めて、別にそれを誰に言うでもなく、ただ一人、図書館に籠って勉強し続けたタカダ君。気づけば遠いところにいた。同じように毎日図書館にいて、すぐ近くの席に座っていた僕とはまるで別世界の遠いところに。

 

少し経って、タカダ君は志望していた会社への就職を決めた。

 

 

 

 

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大学を卒業して、みんなバラバラになったけれど、僕らは数年に1度のペースで集まった。一度タカダ君が不参加のことがあったけれど、この時彼はMBA取得のためにアメリカに留学していたのだった。

 

その次の集まりにはやってきた。

 

「いや、もうさ、マジで頭良いやつしかいなかった。参った。どんだけやっても敵わないってやつばっかり。めちゃくちゃ鍛えられたわ」

 

アンタが言うか、と、その場の全員が思った。直近の仕事のエピソードもいくつか話してくれたけれど、もう、エネルギーがすごかった。学生の頃と変わらず、タカダ君は僕の知らない世界を全力疾走していた。

 

 

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3年前、タカダ君が重い病気で入院したと聞いた時、すぐに会いに行った。友人曰く、脳の病気で、大きな手術をしたと。一日のうち、意識がはっきりしている時と、そうでない時があるそうだ。僕は連絡をくれた友人と二人で病院へ向かった。

 

幸いその時のタカダ君は意識がはっきりしていた。頭がいたい。からだの左側が思うように動かない。ヒマだ。リハビリしたい。治したい。といったことを、呂律の回らない口で、ゆっくりと話してくれた。「左、がわ、動かない」「会、社、休んでる」と、言葉を探しながら。10分ほど話すと疲れたのか、タカダ君はベッドに寝転んで目を瞑った。人と会うだけでも消耗すると事前に聞いていた。少し長居しすぎたかもしれない。友人と、そろそろ行こうかと話していると、

 

 

「フク、シャ、したい」と、タカダ君が言った。寝転んで、天井を見上げたまま、ゆっくり言葉を探しながら「はやく、リハビリ、して、フク、シャ、したい」と繰り返した。

 

 

たぶん「復社」だろう。タカダ君は会社に復帰して、仕事がしたいのだ。僕は、大丈夫、すぐ復社できるよ、と話しながら、涙を堪えるのがやっとだった。

 

 

病室を出たところにご両親がいたので挨拶した。初めて会ったタカダ君のお父さんに、学生時代に聞いた面接のエピソードを話すと、驚いて「ああ、そうそう。昔ね。懐かしいね。息子がそんなことを言っていましたか」と目を細めていた。

 

 

病院を後にした僕と友人は「見舞いに行った俺らが元気もらってどうするんだよ」と、その後何度も同じ話を繰り返した。やっぱタカダ君は違うわ。いつ会っても、なんか凄いよな。と、何度も何度も。

 

 

 

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先日、田中泰延さんの著書『会って、話すこと。』を読んでいて、こんな一節に出会った。

 

 わたしたちはわかりあうことはできない。だが、感じあうことはできる。

安っぽい共感ではない。憐憫でもない、説教でもない、哀れみでも上から目線でもない。突き詰めたら、わからない。他人のことはわからないのだ。だが、しかし、そこにいっしょにいるということ、時間と空間を共有することに意味がある。

ー『会って、話すこと。』より

 

読んだ瞬間、タカダ君を想った。

 

タカダ君がいなくなって、もうすぐ2年になる。僕は今も、生まれも育ちも仕事も趣味も、自分とは何も被らない不思議な友人を想う。そこで湧き出る言葉にならない何かが、時間と空間を共有したことの意味なのではないか。

 

 別々に生まれたという冷徹で険しい真実を確認し合うからこそ、人間は初めて「他者」と出会い、共感し、連帯できる可能性を見出すのではないか。

その時はじめて、向かい合っていた視線は同じ彼方を見ることができる。人間は会話によって風景を発見するのだ。これこそが会話がたどりつく約束の地なのではないか。

ー『会って、話すこと。』より

 

タカダ君は、たくさんの知らない風景を見せてくれた。中には思い返す度に見え方が変わる風景もある。そして、タカダ君がいなくなった今でも、過去の会話の中に新しい風景を見つけてしまうことがある。あの時言ってたのはこういうことだったのかと、気づかされることがあるのだ。「もういない」と感じるということは、実は「まだそこにいる」ということだろう。タカダ君は、まだそこにいる。

 

 

知り合ってかれこれ23年。ほんとうに、いつまで経っても魅力的な男だ。

 

 

 

 

出典:田中泰延『会って、話すこと。』

(ダイヤモンド社)

会って、話すこと。――自分のことはしゃべらない。相手のことも聞き出さない。人生が変わるシンプルな会話術

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