先日、歳の近い先輩達と"一生モノ"について話した。メンテナンスを繰り返してずっと使おうと決めた愛用品も、10年で壊れて修理もできなくなるようでは一生モノとは呼べない。また、何をしても絶対に壊れないような頑丈なモノでも、10年使って飽きてしまうのではその条件を満たさない・・・そんな話をした。はて、自分は"一生モノ"をいくつ持っているだろうか・・・と考え、いくつか浮かんだ候補の中にひとつ、間違いなくそう呼べるものがあった。先輩達とは革靴の話をしていたのだけれど、僕の頭に浮かんだのは靴ではなかった。
一生使いたいし、使える・・・そういうモノを作った話を書く。
>>>
5年前の7月のある日。
「おい、どっかでトラック借りてこい」
と偉い人は言った。「沢山積めるやつな」
僕は運搬用のトラックを調達して、偉い人=Kさんと目的地に向かった。そこは山の麓の大きな一軒家で、庭先に長さ2メートル、幅50センチ以上の材木がゴロゴロと転がっていた。それをKさん(当時62歳)と僕(当時32歳)でトラックに積み込んだ。全部で500キロ以上はあったんじゃないだろうか、それらを積み込み、Kさんの工房まで運んで下ろす、この日はそれだけで精一杯だった。
Kさんは当時僕の上司の上司の上司のじょ・・・勤めている会社のとても偉い人だった。(ちなみにKさんは先日書いた「言うたった。」という話に出てきた"偉い人"と同一人物だ。) Kさんの趣味は木工だったのだけれど、気合の入り方が尋常ではなかった。Kさんは自宅とは別に古い一軒家を借り、内部を工房として改装し、木工のためだけに使っていた。そこにはプロしか使わないだろうという大きな機械がゴロゴロ転がっていて、そこに行く度に僕は「こんなん、絶対要らんやろ・・・」と首を傾げるのだった。Kさんは頻繁に機械や工具や材木を買った。Kさんが一人では運べないような大きくて重い機械を買ったら、僕が荷受けを手伝うこともあった。これはオイシイ案件で、トラックから機械を下ろし、1時間ほど作業するだけで、その後で美味しい焼肉や鰻重を腹いっぱい食べさせてもらえるという、嬉しすぎる謎のシステムとセットになっていた。
Kさんは道具を何でも持っていたし、いつも何か作っていた。僕が相談すると、Kさんは「よし、教えてやるから、オマエが作れ」と一言。その約1カ月後に前述の「おい、どっかでトラック借りてこい」という流れになった。Kさんの知り合いの方が自宅を建てた際に余った材木が沢山あり、全部引き取るという条件でそれをもらえることになったそうだ。作り方を教えてくださいと頼み込めば、その材料も調達してもらえるという、嬉しすぎる謎のシステムが発動した。
そこから約2ヶ月半、僕は毎週末、時には平日の夜も、Kさんの工房に通った。
身の丈を越えるヘヴィな材木はどれも、切り出されてから15年以上が経過した松材だった。その表面についた砂埃を真鍮のブラシで削ぎ落すところから作業は始まった。埃を落とし、丸鋸で四辺を荒取りする。電気カンナで表面を切削していく。切り出されたままの反り放題曲がり放題の材木に、平面と直角を出していく。その作業だけで丸2日くらいかかったと思う。
材料の荒取りが終わったら、"自動鉋"、"手押し鉋"といった大型の切削機械で加工する。どの材も大きく長いので、二人での作業がベストだった。材を差し込む側と、削り出された材を受け取る側に一人ずつ立っていると非常に作業しやすい。削り出したところに虫食いが見つかれば「ああ、こりゃ使えんわ・・・」と投げ捨ててはまた次の材に取り掛かる。材料をもらいに行った時には「絶対こんなに使わないだろう」と思ったけれど、切り出してみると使えない部分も多く、製材から取り掛かるなら材料は多めに調達した方がいい・・・準備段階から学ぶことだらけだった。
>>>>>
週末は工房で作業、平日は会社で仕事だ。事務所ではパーテーションで仕切られた一角にデスクを構えていたKさん、僕の席は仕切りを挟んですぐのところだったからか、何か思いつく度に僕を呼んでは「おい、***の数字まとめろ」とか「この資料**のパターンでやり直し、カキューテキスミヤカニ」とか指示しまくるのだった。はい!と端から取り掛かるのは不肖ワタクシ、拙い資料を提出しては叱られるばかりだった。「なんじゃこれは。話にならん!」とか「この資料でおまえは何が言いたいんじゃ」とか、シンプルに「アホ!!」とかwww
ある日、パーテーションの向こうからKさんがいつになくドスの効いた声で僕を呼んだ。
はて何事か・・・また何かやらかしてしまったか・・・と向かうと、Kさんは深刻な表情でパソコンに向かい、ソリティアをカチカチやりながら、こちらを見ることなくそのまま話し始めた。
「オマエ、鉋(かんな)持ってないだろう。替え刃式の"越翁"っていうのがあるから、それを買え。ワシも基本的にはそれじゃ」
リアル釣りバカ日誌のような会話が少しずつ増えていった。
僕はKさんに言われるままに"越翁"を買った。
「次はこれをこうしろ、あれをああしろ」・・・工程は少しずつ進んだ。実際の製作が始まってからも、嬉しすぎる謎のシステムは発動した。「この接ぎ(はぎ)は難しい。ドシロートのオマエには無理じゃからワシがやってやる」とか、僕が買ったばかりの鉋でせっせと材を削っていると「ここは絶対に平面じゃないとダメなんじゃ。ここの直角が狂うと全てが台無しじゃ。ええか、パッと見じゃわからんようなところほど大事なんじゃ。ええい、貸してみい!」と、大事なところは必ずKさんの手直しが入るのだった。
>>>>>
謎のシステムが各所でテンポ良く発動して、スムーズに製作が進んだかというと、決してそんなことはなく、頭を悩ませることも多かった。
まず、先にも書いた通り、「虫食い」に参った。切り出されて15年の松材、虫食いは進行し放題だった。主要な部材で使おうとカットしたところに虫食い穴を見つけた時など、二人で肩を落とした。仕方なく虫食い部分をカット、そこへ新たに部材を接合したり、穴をパテや埋め木で塞いだりしてなんとか凌いだ。これは、主にKさんが作業してくださった。
「反り」にも参った。15年以上寝かせているというのに、切り出した材はモノによって大きく反った。まだ水分を含んでいるのだ。木の表皮側は導管が多く集まり水分を多く含んでいて、繊維密度は低い。また木の中心部は導管が少なくて繊維密度が高い。そんな木をカットすると、その面が表皮側であればあるほど、含まれる水分が多い為に乾燥の度合いが多くなり反ってしまう。製材して工房に寝かせておいたパーツを次の週末見てみると、反ったり曲がったりしているのだ。これはいかん!と鉋を手に取り、反りを修正していくのだった。これは、ええと、主にKさんが作業してくださった。
「ヤニ」にも参った。松といえば、松ヤニだ。機械で材をカットするたびに、その刃に容赦なく松ヤニが付いた。ベトベトしたヤニが刃に付けば、当然切れ味が悪くなる。それを見ては「ええいクソ!!」と吠えるKさん。Kさんにとって宝物の切削機械、長くヤニをこびりつかせるわけにはいかないのだ。各工程のキリがいいところで機械の刃に着いた松ヤニを落とすのも大変だった。この作業については、主にKさ(以下略)。
「ヒビ割れ」にも参った。ヒビ割れは、木が空気中の水分を吸ったり吐いたりすることで、その細胞が膨らんだり縮んだりして起きる。湿度の大きな変化に膨縮のスピードが追いつかずに木が割れてしまうことがある。それを未然に防ぐべく「蝶千切り」というものを嵌め込んだ。この作業はおm(以下略)。
うむ。書きながら、僕は思い直した。
このダイニングテーブルを作ったのは、Kさんだ。
僕は自分が何をしていたのか、よくわからない。確かに僕も製作期間中は趣味のサーフィンにも殆ど行かず、ほぼ毎週工房に通って作業していたはずだ。いつもヘトヘトになって、埃だらけで家に帰っていたはずだ。それなのに、よくわからない・・・僕がやったことといえば、重いモノを運んだりホウキで埃を掃いたりしたことくらいだったのではないか。いやいやそんなことは・・・嗚呼、なんなんだこの感覚は・・・。モヤモヤしたまま、僕は当時の写真を眺めた。
うむ。振り返ってみて、なんとなくわかった。制作期間2ヶ月半、七転び八起きでなんとか完了したこのテーブル製作の、転ぶ方を僕が、起きる方をKさんがやっていたのだ。たぶん。
終盤、天板の平面出しが上手くいかなかった。僕は鉋を手に意気勇んだけれど、広い天板をどれだけ削っても一向に平面が出ない。これには本当に参った。ある部分は削りすぎていたり、またある部分は全然削れていなかったりで、平面チェックのために定規を当てると接触面が隙間だらけなのだ。それを見て首を捻り、また端から削り直す。それを何度も繰り返した。鉋を持つ手がプルプル震えた。工房内、足元にどんどん積もっていく鉋屑・・・見かねたKさんがポツリと言った。
「おい、木が無くなるぞ」
・・・。
うむ、僕がそのまま天板を削り続けていたら、たぶん木が無くなっていた。これは天板だけじゃなくて、全ての部材において言える。僕が一人で鉋をかけていたら、このテーブルは今ここにはないだろうなw
>>>>>
Kさんには、感謝してもしきれない。
>>>>>
5年前、築30年の中古住宅を買った時、リビングに置く"良い"テーブルが欲しかった。大きくて丈夫で、使い込むほどに風合いが増し、一生使える、そんなテーブルが。家具屋さんに行けば、そういうモノは何十万円もするし、僕にそんな金銭的余裕は無かった。でも欲しいものは欲しい・・・嗚呼、これはもう作るしかないと思い立ったのだった。Kさんの「よし、教えてやるから、オマエが作れ」から始まったテーブル製作、場面場面で作業方法を教わった僕はその通りにした。・・・つもりだったけれど、違った。「ここをこうやって削れ」「はい」よし、やったるぞ・・・と、僕が削った面は面ではなく、どれもデコボコなのだ。それをKさんが鉋で平面にする。Kさんと僕はそういう作業を2ヶ月半もの間繰り返していたわけだ。それが当時の僕にはよくわかっていなかった。僕は夢中で、自分も一緒にテーブルを作っていた(つもりだった)し、沢山のノウハウを習得していった(つもりだった)し、とにかく作業を楽しんでいた。トラブルばかり起きるのになぜか楽しい・・・嬉しすぎる謎のシステムはここでも発動しまくっていた。
夢中になって製作したこのテーブルは、もし「売って欲しい」なんて言われても誰にも売らない。これは世界中のどんな大金持ちにも買えないモノだ。いつか僕が死んだら、その後は僕が想う大切な誰かに使ってもらいたい。そうして受け継がれていけば、もしかすると僕だけじゃなくて他の誰かにとっても、これは一生モノになるんじゃないか。
>>>>>
そうだ、椅子のことも少し。
物件を内覧した時、オーナーさんから「家具が要るなら置いていきますよ」と言われたので、椅子四脚をありがたく頂戴した。作っているテーブルと、そこにあった重厚な椅子のシルエットはフィットすると思った。ただ、椅子には焦げ茶色のツヤツヤな塗装が施してあった。僕はその表面を、全て削った。これが始めてみると途方もない作業で、友人にも手伝ってもらった。でもやってよかった。何でもやってみないとわからないもので、削ったところから現れた木目はテーブルのそれとそっくりだったのだ。両者の木目は、こんなに合っていいのかという程にマッチしていた。ここでもまた嬉しすぎる謎のシステムが発動していた。そしてこれをもって我が家のダイニングセットが完成したのだった。
>>>>>
不思議なことに、同じモノを食べても、このテーブルで食べた方が美味い。普段何を食べても、何を飲んでも美味いと感じる「THE 違いのわからない男」の僕も、その違いは分かる。美味い。そしてとても心地良い。ここでもまた発動しているんじゃないのか、例のシステムが。
と、ここまで何度も書いて思ったんだけれど、「嬉しすぎる謎のシステム」って、なんなんだw
よくわからんが、そこは謎のままでもまあええか・・・。
-----
コメントを投稿するにはログインしてください。